19年ぶりの大会でした
お久しぶりです。いろいろ自分探しをしておりまして、ご無沙汰してしまいました。
ところで、今日は19年ぶりに愛知県で開かれる「日本母親大会」の全体会に行ってきました。名駅から「あおなみ線」に乗ったんですが、あちこちの県の旗を持った方がいっぱいいて、そうか全国から集まったんだなとあらためて思いました。
今日も暑い日で、来賓挨拶の方が「こんな暑い愛知にようこそ」と言っていましたが、本当に暑い。
たぶん今年女性部に関わっていなかったら参加しなかっただろう・・と思うのですが、19年ぶりにあたったのも何かの縁でしょうね。
男性も混じっていますが、ほとんど女性で会場に集まったパワーと熱気は凄いんです。一人の力が集まって何人かになり、何人かの力が集まって集団になる。これはやっぱり凄い事です。
昨日は分科会でいくつものテーマに分かれて話し合いがされたようですが、あの名古屋の「山田昌」さんが、昨日「夏の雲は忘れない」という広島、長崎の事を朗読。
今日はその足で開会挨拶に来、いつもの名古屋弁は影を潜めて「今からまた新潟に行きます」と丁寧に挨拶をされました。分科会に行って朗読を聞きたかったですね。
記念講演は、一橋大学の「渡辺治さん」です。この方は「九条の会」の事務局をされているようですが、実は先日大江健三郎の本を読む機会があって、大江健三郎が九条の会の発起人の一人だと知ったんです。そうか九条の会ってなんだろう・・・と思っていたところの、今日の講演です。下の写真は渡辺治さんです。
「憲法を力に 未来をきりひらく」が題目です。最初眠い話かと思いつつ聞き始めたら、九条の歴史に始まって、安保条約締結の話のあたりからちょっと興味深く聞いてしまいました。
岸総理が安保条約を締結したが、改憲については予想外の市民の反対にあい断念せざる終えなかった経過。60年安保とよく聞きますが、こんな市民や学生、各政党の団結などの力って凄かったんですね。
佐藤総理の時に「非核三原則」が決まり(核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず)、武器の輸出も出来なかったこと。もし輸出が出来ていたら、ノウハウのあるトヨタはきっと作っていただろうと。作っていたらどんな世の中になっていたのだろうと。
25条の生活保護法に関連した戦いには、いかにその当時の国が生活保護者を、人として扱っていなかったかに憤りを感じました。革新政権になってからの各地での活動を知り、今の保育、医療(一度は高齢者は無料になった)への取り組みに驚きもしました。
その培ってきたものをここ数年で、いくつも壊そうとしてきたんですね。
そんな2004年に始まった「九条の会」は、今全国に7000の個別の集まりが出来るほどの広がりを見せているのだそうです。
先日、イラク派遣を「違憲」と言った名古屋高等裁判所の判決がありましたが、関わった3人の裁判官を称して「人間だった」んだな・・と渡辺さんは話していました。今自分の子が「戦争に行きなさい」と言われたら、反対できるだろうか・・・。そのためにはやっぱり戦争は再び繰り返してはいけないんだと思います。
市民として、今の「後期高齢者制度」「九条の問題」「派遣労働者の問題」等、他人事とせず、ちゃんと情報を見極める事が大事なんだなと思いました。皆が人間らしいあたりまえの生活が出来なくちゃいけない。
暑い日、この大会に参加できたことは、この講演を聞けた事はよかったです。政治のことは「わからん」と逃げがちなのですが、それではいけないですね。ちゃんと新聞も読んで、ちゃんと自分の言葉で語れるようにしたいなと思う私です。
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コメント
こんばんは
母親大会が愛知県で開催されたんですね。
時代が変遷するなかで何年も続いてきた母親大会、ちょっと調べてみましたら・・・・
1955年に「命を生み出す母親は生命を守り育てることを望みます」っていうスローガンを掲げて始まったようですね。
私の母親は学問も乏しく生きるのに精一杯という子だくさんの貧乏家庭だったから、朝から晩まで町工場で忙しく働き続けてきたけど、「子どもを守り育てる」っていう、そんな姿だけはしっかりと脳裏に焼きついていますね。
母親の持つ子どもへの思いは何にも増して強いってことですね。
お疲れさまでした。
投稿: ちょっと一休み | 2008/07/28 00:51
ちょっと一休みさんへ
いっぱい集まった人たちを見ていたら、一人一人では難しい事も、これだけのパワーで何かを変えていけるのではないだろうか・・とふと思いました。
母親の愛は「無償の愛」とよく言われますが、見返りを求めない愛に子どもは安心して育っていくんでしょうね。そんな愛情に包まれれば、きっとその子も愛情を人に返せますよね。
母親は偉大なんですね。
投稿: ちゃぶん | 2008/07/28 12:54